プーズカフェの扉が開くと扉につけられたベルがちりん、と鳴る。
春には優しく、夏には強く、秋には涼しく、冬には澄んで、ちりんと鳴る。
僕は四季の全ての鳴り方を知っていた。そしてその音色が響く度に僕はドアに目をやる。
決して現れない彼女の姿を求めて。
いったい彼女はどこに行ってしまったのだろう。
まるで月の裏側に隠れてしまったかのようだ。
そして、地球にいる僕はいったいいつまで、決して見えない彼女を探し続けるのだろう。
僕はいつも思う。
本当に彼女がそのドアを開けて現れたら、いったい僕はどうするつもりなのだろう。
「やあ、久しぶり。偶然だね」なんて言うのだろうか。馬鹿げている。
それとも、一言も交わさずに彼女の姿を一目見るだけで満足なのだろうか。
僕にはわからない。しかしその機会はおそらく来ることはないだろう。
なにせ彼女は月の裏側だ。
それでも僕は想像し続ける。彼女がそのドアを開けて入ってくるのを。
その時、ドアのベルはどんな鳴り方をするのだろう、と考えながら。
そうだ、と僕は思う。彼女が来たらこんな話をしよう。
少し長い話だがコーヒーを一杯飲むのに充分おつりがくる。
ある娘と青年が恋に落ちた。しかしその二人は身分がとても違いすぎた。
そう、よくあるやつだ。娘は大きな家に住み青年には家と呼べるようなものがなかった。
当然娘の父は反対した。二度と会うなと言った。
娘は、それならば私は死にますと言い、
父を困らせ、仕方なく一年に一度だけ会ってもいいと約束をもらった。
それから、二人は一年に一度だけ会った。二人が会う時はいつも泣いた。
また一年会えないのね、と言いながら固く抱き合い、別れを惜しみ一年後の約束をした。
ある年、約束の日に彼女は現れなかった。青年は一日中待ち続けた。
しかしとうとう彼女はその日現れなかった。
娘はその日の少し前に流行の病にかかり死んでしまっていたのだ。
しかし、それを知らない青年は次の日も約束の場所に向かった。
次の日もまた次の日も。
しかし青年は決して不幸ではなかった。
毎日その場所に行けば、
いつか娘に会えるのではないかと、毎日希望が胸に満ちていたのだ。
仕事もした。食事もしっかり食べた。
青年は生き続けなければならないのだ。
しかし、青年はそれから数年後に娘と同じ病に侵され死ぬ事になる。
それでも青年は不幸ではなかった。青年は思った。
今度は僕が待つ番だ、と。
でも、実際は自分が待たせていた方だと気付いた青年はどんな顔をするだろう。
娘はずっとそれを想像しながら待っていた。青年が扉を開けて入ってくるのを。
その扉につけられたベルがどんな音色で鳴るのを想像しながら。
僕はそこまで考えると意識を現在に戻した。
少し深く考え過ぎていたので心配になったのだろう。
女店主がこちらを少し心配そうに見ていたので笑顔を返した。
決して不幸ではないですよ、と。
ちりん。
プーズカフェの扉のベルが鳴る。
それは今まで僕が聞いた中で一番素敵な音色だった。
文・市川 剛史