short short story 002
いつもは気にならないスリッパが、履いてみてどうも右と左が違う気がする。
そして右と左を履き替えるのだが、それは奇妙な事にまた私に同じ感覚をもたらす。
そんなちぐはぐな始まりの一日だから今日はのんびりと過ごそうと決めた。
外は誰かが掃除してくれたように空には雲がなく、
太陽は時々そうするように日差しに少し力を抜いてくれていた。
リーバイスのジーンズを履いて白いTシャツを着た。
鏡の前で肩よりも少し伸びた髪を梳かすと全身を一通り確認した。
Tシャツは裏返しで着ていないし、ジーンズは穴だってあいていない。
しかし鏡に映るTシャツの字は裏返って映っており、
やはり私にちぐはぐな印象を与えた。
私は諦めるように鏡の前から立ち去り、
少し気の毒な気もするが文庫本を尻のポケットにねじ込んだ。
プーズカフェまで歩く間に雨が降った。
雲ひとつ無い空からどうして雨が降るのだろう。
突き抜けた空とシミの出来た石畳を交互に見ながら
私はその事について考えない訳にはいかなかった。
そしてプーズカフェに着いた時の私の結論は、
雨は雲からではなく空から降るものだ、という事だった。
店に入るときに一組のカップルとすれ違った。どこにでもいるようなカップルだ。
すれ違うときに男が女に話しているのが聞こえた。
「傘を持っていて良かった。」
しかし私が見る限り男は傘どころか何も持っていない。
やはり今日はちぐはぐな日だ。
店に入ると甘く香ばしい匂いがした。
さっきの二人がワッフルを食べたのかもしれない。それは良い選択だと思った。
カウンターに座り女店主と挨拶を交わした。
女同士ということもあり少し前から話すようになった。
「スリッパを履くとどうも右と左が違うような気がする日ってない?」
女店主は少し考えて、あるような気がするというような返事をした。
「今日はとってもちぐはぐな一日なの。
スリッパの右が『ちぐ』で左が『はぐ』みたいな。
そして、それはいくら交換しても
右は『ちぐ』のままで、左は『はぐ』のままなの。
天気なのに雨は降るし、
いま私が持っている本は、カフェにいるのに『城』だし。」
女店主は私の前にアイスコーヒーを差し出し、それについては意見を言わなかった。
その代わりに「彼氏とはどうなの?」と尋ねた。
前にプーズカフェに来た時に、できたばかりの彼氏の話をしていた。
私はその質問の答えを探した。
それは目の前のコーヒーを一口飲むだけの時間で答えは出た。
「ダメね。私が『ちぐ』で彼が『はぐ』。逆でも大して変わらないと思うけれど。」
女店主は少し難しい顔をしていた。
それからひとり言のように
「でもふたつ揃わないと『ちぐはぐ』にはならないわね。」と呟いた。
私はそれについて少し考えてみた。
私が『ちぐ』で、彼が『はぐ』。
それが飼われている二匹の犬の名前だったらとても仲が良さそうだ。
でも私達は人間でちぐはぐしている。しかし、私一人ではちぐはぐできない。
彼といる事で初めてちぐはぐできるのだ。
そう考えると彼といる事によって、
私の得られる事は無限に広がっていくように感じられた。
私は水平線を思い浮かべた。
空と海は全く違うものなのにその線は世界で一番雄大な線だ。
ちぐはぐ、結構じゃないか。
私は今すぐにでも家に帰って、もう一度スリッパを履きたい気分だった。
きっとそのスリッパは何の違和感もなく、私の足に収まる事だろう。
『 ちぐ』は『はぐ』無しでは成立しないのだ。
文・市川剛史
そして右と左を履き替えるのだが、それは奇妙な事にまた私に同じ感覚をもたらす。
そんなちぐはぐな始まりの一日だから今日はのんびりと過ごそうと決めた。
外は誰かが掃除してくれたように空には雲がなく、
太陽は時々そうするように日差しに少し力を抜いてくれていた。
リーバイスのジーンズを履いて白いTシャツを着た。
鏡の前で肩よりも少し伸びた髪を梳かすと全身を一通り確認した。
Tシャツは裏返しで着ていないし、ジーンズは穴だってあいていない。
しかし鏡に映るTシャツの字は裏返って映っており、
やはり私にちぐはぐな印象を与えた。
私は諦めるように鏡の前から立ち去り、
少し気の毒な気もするが文庫本を尻のポケットにねじ込んだ。
プーズカフェまで歩く間に雨が降った。
雲ひとつ無い空からどうして雨が降るのだろう。
突き抜けた空とシミの出来た石畳を交互に見ながら
私はその事について考えない訳にはいかなかった。
そしてプーズカフェに着いた時の私の結論は、
雨は雲からではなく空から降るものだ、という事だった。
店に入るときに一組のカップルとすれ違った。どこにでもいるようなカップルだ。
すれ違うときに男が女に話しているのが聞こえた。
「傘を持っていて良かった。」
しかし私が見る限り男は傘どころか何も持っていない。
やはり今日はちぐはぐな日だ。
店に入ると甘く香ばしい匂いがした。
さっきの二人がワッフルを食べたのかもしれない。それは良い選択だと思った。
カウンターに座り女店主と挨拶を交わした。
女同士ということもあり少し前から話すようになった。
「スリッパを履くとどうも右と左が違うような気がする日ってない?」
女店主は少し考えて、あるような気がするというような返事をした。
「今日はとってもちぐはぐな一日なの。
スリッパの右が『ちぐ』で左が『はぐ』みたいな。
そして、それはいくら交換しても
右は『ちぐ』のままで、左は『はぐ』のままなの。
天気なのに雨は降るし、
いま私が持っている本は、カフェにいるのに『城』だし。」
女店主は私の前にアイスコーヒーを差し出し、それについては意見を言わなかった。
その代わりに「彼氏とはどうなの?」と尋ねた。
前にプーズカフェに来た時に、できたばかりの彼氏の話をしていた。
私はその質問の答えを探した。
それは目の前のコーヒーを一口飲むだけの時間で答えは出た。
「ダメね。私が『ちぐ』で彼が『はぐ』。逆でも大して変わらないと思うけれど。」
女店主は少し難しい顔をしていた。
それからひとり言のように
「でもふたつ揃わないと『ちぐはぐ』にはならないわね。」と呟いた。
私はそれについて少し考えてみた。
私が『ちぐ』で、彼が『はぐ』。
それが飼われている二匹の犬の名前だったらとても仲が良さそうだ。
でも私達は人間でちぐはぐしている。しかし、私一人ではちぐはぐできない。
彼といる事で初めてちぐはぐできるのだ。
そう考えると彼といる事によって、
私の得られる事は無限に広がっていくように感じられた。
私は水平線を思い浮かべた。
空と海は全く違うものなのにその線は世界で一番雄大な線だ。
ちぐはぐ、結構じゃないか。
私は今すぐにでも家に帰って、もう一度スリッパを履きたい気分だった。
きっとそのスリッパは何の違和感もなく、私の足に収まる事だろう。
『 ちぐ』は『はぐ』無しでは成立しないのだ。
文・市川剛史
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