short short story 004

プーズカフェの扉が開くと扉につけられたベルがちりん、と鳴る。
春には優しく、夏には強く、秋には涼しく、冬には澄んで、ちりんと鳴る。
僕は四季の全ての鳴り方を知っていた。そしてその音色が響く度に僕はドアに目をやる。
決して現れない彼女の姿を求めて。
いったい彼女はどこに行ってしまったのだろう。
まるで月の裏側に隠れてしまったかのようだ。
そして、地球にいる僕はいったいいつまで、決して見えない彼女を探し続けるのだろう。

僕はいつも思う。
本当に彼女がそのドアを開けて現れたら、いったい僕はどうするつもりなのだろう。
「やあ、久しぶり。偶然だね」なんて言うのだろうか。馬鹿げている。
それとも、一言も交わさずに彼女の姿を一目見るだけで満足なのだろうか。
僕にはわからない。しかしその機会はおそらく来ることはないだろう。
なにせ彼女は月の裏側だ。
それでも僕は想像し続ける。彼女がそのドアを開けて入ってくるのを。
その時、ドアのベルはどんな鳴り方をするのだろう、と考えながら。

そうだ、と僕は思う。彼女が来たらこんな話をしよう。
少し長い話だがコーヒーを一杯飲むのに充分おつりがくる。

ある娘と青年が恋に落ちた。しかしその二人は身分がとても違いすぎた。
そう、よくあるやつだ。娘は大きな家に住み青年には家と呼べるようなものがなかった。
当然娘の父は反対した。二度と会うなと言った。
娘は、それならば私は死にますと言い、
父を困らせ、仕方なく一年に一度だけ会ってもいいと約束をもらった。
それから、二人は一年に一度だけ会った。二人が会う時はいつも泣いた。
また一年会えないのね、と言いながら固く抱き合い、別れを惜しみ一年後の約束をした。
ある年、約束の日に彼女は現れなかった。青年は一日中待ち続けた。
しかしとうとう彼女はその日現れなかった。
娘はその日の少し前に流行の病にかかり死んでしまっていたのだ。
しかし、それを知らない青年は次の日も約束の場所に向かった。
次の日もまた次の日も。
しかし青年は決して不幸ではなかった。
毎日その場所に行けば、
いつか娘に会えるのではないかと、毎日希望が胸に満ちていたのだ。
仕事もした。食事もしっかり食べた。
青年は生き続けなければならないのだ。
しかし、青年はそれから数年後に娘と同じ病に侵され死ぬ事になる。
それでも青年は不幸ではなかった。青年は思った。
今度は僕が待つ番だ、と。
でも、実際は自分が待たせていた方だと気付いた青年はどんな顔をするだろう。
娘はずっとそれを想像しながら待っていた。青年が扉を開けて入ってくるのを。
その扉につけられたベルがどんな音色で鳴るのを想像しながら。


僕はそこまで考えると意識を現在に戻した。
少し深く考え過ぎていたので心配になったのだろう。
女店主がこちらを少し心配そうに見ていたので笑顔を返した。
決して不幸ではないですよ、と。

ちりん。

プーズカフェの扉のベルが鳴る。
それは今まで僕が聞いた中で一番素敵な音色だった。


文・市川 剛史
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short short story 003

「はぐ」
と呼ばれて僕はすぐには反応できなかった。
その前に彼女からそう呼ばれたのはもうずいぶんと昔のことだ。
どうして彼女が僕のことを久し振りにそう呼んだかはすぐにわかった。
ちょうど店に入る時にすれ違った女性が嬉しそうに
「はぐ、はぐ」と言っていたからだろう。
それを聞いて彼女は昔の事を思い出し、僕にそのできの悪い犬のような名前で呼びかけた。
「 なんだよ。ちぐ。」

僕らがちぐはぐしていた時代。
僕が味噌汁を飲みたいと言えば彼女がカレーを作り始めていた時代。
じゃあ試しに「ちぐ」と「はぐ」を交換して呼んでみようか、と言って余計にちぐはぐした時代。
偶然すれ違った女性のせい、というかおかげで僕らは昔の事を語り合う事にした。
場所は白川沿いにあるプーズカフェ。
店内は空いていて、時間は空に置き忘れられた雲のように止まっているようで確実に動いていた。

「ちぐ」と「はぐ」がようやくお互いの必要性に気付き始めた頃、
僕は彼女に話をした。
ただ川に石を投げ込むような意味も無い暇つぶしの話だった。

「 月の裏側って地球からは見えないんだ。
 月は地球と公転と自転の周期が全く同じなんだ。知ってた?」
「知らなかった。」彼女はそう言って目だけ上を向いて黙ってしまった。
きっと頭の中で二つの球体がグルグルしていることだろう。
「 つまりこういう事だ。」
僕は彼女を立たせ、僕は彼女から少し離れた所に立った。
「君が地球。僕が月。」
「なんだかどこかの神話みたいなセリフね。」彼女はふふっと笑った。
「 そうだな、素敵だ。君が地球。僕が月。
 さあ始めよう。」
僕は彼女の周りをゆっくりと周り始めた。そして元の場所に戻ると足を止めた。
「 どう?僕は自転と公転をした。わかってもらえたかな?」
彼女は少し口を持ち上げて、ひとつわかった事がある、と言った。
「 ずっとあなたに見られていて気持ち悪いわ。」悪戯っぽく彼女は笑った。
「 それは仕方無い。君が地球で僕は月だ。」
でも・・・ と言って彼女は俯いた。
「 あなたの背中を見られないのは悲しくて、怖いことだわ。」
驚いた事に彼女は泣いていた。僕はそっと彼女を抱きしめた。
「 地球の引力はすさまじい。実際に月は地球の引力でその形を変える。」
「そんな事は聞いてない。こわいのよ。」
「僕の背中に手を回してごらん。見えなくても、その手で感じる事ができるはずだ。」
彼女の手が僕の背中に回りこんで、いろいろな方向に動いた。
「 どう?」
「意外に何もない。」彼女の声はスッキリしたようだった。
「 人類も初めて月の裏側を見た時にそう思ったに違いない。そんなもんだ。」


そこまで僕らは語り合うと、思い出話はそこで打ち切られた。
お互い恥ずかしかったのかもしれない。
「 ねえ、月?」それでも彼女は僕の事をそう呼んだ。
「 なんだ。地球。」
「あなた、顔が少し変形したんじゃない?」
「そりゃ、六十歳も過ぎればそうなるさ。それに、地球の引力はすさまじい。
 四十年も一緒にいるんだ。そりゃそうなるさ。」
しかし、こんな昔話になるなんて。不思議な店に来てしまったものだ。
僕はもう一度この店の名前を探した。『プーズカフェ』


旧ソ連の月探査機「ルナ3号」が初めて月の裏側を撮影したのが、
今からちょうど50年前の195 9年の出来事。


文・市川剛史

short short story 002

いつもは気にならないスリッパが、履いてみてどうも右と左が違う気がする。
そして右と左を履き替えるのだが、それは奇妙な事にまた私に同じ感覚をもたらす。

そんなちぐはぐな始まりの一日だから今日はのんびりと過ごそうと決めた。
外は誰かが掃除してくれたように空には雲がなく、
太陽は時々そうするように日差しに少し力を抜いてくれていた。

リーバイスのジーンズを履いて白いTシャツを着た。
鏡の前で肩よりも少し伸びた髪を梳かすと全身を一通り確認した。
Tシャツは裏返しで着ていないし、ジーンズは穴だってあいていない。
しかし鏡に映るTシャツの字は裏返って映っており、
やはり私にちぐはぐな印象を与えた。
私は諦めるように鏡の前から立ち去り、
少し気の毒な気もするが文庫本を尻のポケットにねじ込んだ。


プーズカフェまで歩く間に雨が降った。
雲ひとつ無い空からどうして雨が降るのだろう。
突き抜けた空とシミの出来た石畳を交互に見ながら
私はその事について考えない訳にはいかなかった。
そしてプーズカフェに着いた時の私の結論は、
雨は雲からではなく空から降るものだ、という事だった。


店に入るときに一組のカップルとすれ違った。どこにでもいるようなカップルだ。
すれ違うときに男が女に話しているのが聞こえた。
「傘を持っていて良かった。」
しかし私が見る限り男は傘どころか何も持っていない。

やはり今日はちぐはぐな日だ。

店に入ると甘く香ばしい匂いがした。
さっきの二人がワッフルを食べたのかもしれない。それは良い選択だと思った。
カウンターに座り女店主と挨拶を交わした。
女同士ということもあり少し前から話すようになった。

「スリッパを履くとどうも右と左が違うような気がする日ってない?」

女店主は少し考えて、あるような気がするというような返事をした。

「今日はとってもちぐはぐな一日なの。
 スリッパの右が『ちぐ』で左が『はぐ』みたいな。
 そして、それはいくら交換しても
 右は『ちぐ』のままで、左は『はぐ』のままなの。
 天気なのに雨は降るし、
 いま私が持っている本は、カフェにいるのに『城』だし。」

女店主は私の前にアイスコーヒーを差し出し、それについては意見を言わなかった。
その代わりに「彼氏とはどうなの?」と尋ねた。
前にプーズカフェに来た時に、できたばかりの彼氏の話をしていた。
私はその質問の答えを探した。
それは目の前のコーヒーを一口飲むだけの時間で答えは出た。

「ダメね。私が『ちぐ』で彼が『はぐ』。逆でも大して変わらないと思うけれど。」

女店主は少し難しい顔をしていた。
それからひとり言のように
「でもふたつ揃わないと『ちぐはぐ』にはならないわね。」と呟いた。

私はそれについて少し考えてみた。
私が『ちぐ』で、彼が『はぐ』。
それが飼われている二匹の犬の名前だったらとても仲が良さそうだ。
でも私達は人間でちぐはぐしている。しかし、私一人ではちぐはぐできない。
彼といる事で初めてちぐはぐできるのだ。
そう考えると彼といる事によって、
私の得られる事は無限に広がっていくように感じられた。    
私は水平線を思い浮かべた。
空と海は全く違うものなのにその線は世界で一番雄大な線だ。

ちぐはぐ、結構じゃないか。

私は今すぐにでも家に帰って、もう一度スリッパを履きたい気分だった。
きっとそのスリッパは何の違和感もなく、私の足に収まる事だろう。
『 ちぐ』は『はぐ』無しでは成立しないのだ。


文・市川剛史

short short story 001

どこにでもあるようなカフェ。

そう思いながらもこのカフェはここにしかない。ならば、どこにでもあるようなカフェなんてものは、この世界に一つもないのではないかと思う。

僕らもどこにでもいそうなカップルだけれど、この世界で僕らしかいないんだよ。
そう言えば、今のこの雲一つ無い空に雨を望むような絶望的な状況が変わるかと思ったが
無駄な気がして窓の下の白川を眺めた。
僕か彼女どちらかが一言発すれば周りの温度が一度下がる、そんな空気だった。

「確認したいんだけれど、僕の事が嫌いになった?」

「嫌いではないわ。イヤになっただけ。」

「困った。嫌いもイヤも漢字ならば同じ字だ。」

彼女はアイスコーヒーをカラカラとかき混ぜ、そうね。と呟いた。

「浩子はこの店のワッフルが好きだったけれど、今は・・・ 」

「食べる気にはならない。」

「だろうね。嫌いじゃないけれど、今はイヤ。」

彼女の反応が無い事がわかると僕はまた視線を白川に戻した。
川を見ていると時間が流れているという事を時計の秒針を眺めているよりも実感できる。
時間も、川も、流れる。

「浩子のおかげでタバコを止める事ができた。この先、僕がずっとタバコを吸わなかったら 、タバコを見る度に浩子の事を思い出すよ。」

「十年後には世界からタバコが消えているかもしれない。」

「そしたら焚き火の煙を見て思い出すよ。」

「だいぶ違うと思うけど。」

「できれば浩子が僕の側にいてくれるとそんな煩わしい思いをしなくて済むんだけど。」

浩子は黙ったまま僕を見つめている。
こういう時は僕から話さなければならない事になっていた。
それは浩子と付き合って初めての約束で、浩子はこう言った。
私があなたを見つめた時は私があなたに何かを求めている時よ。
雨が降ったら傘をさすように、私が見つめたらあなたは話すの。
あなたは常に傘を持っていなければならない。
よく晴れたその日の最後に、私は雨女なの、と浩子が言い、じゃあ僕は傘男だ、と答えた。

「僕は今もちゃんと傘を持っている。こうして今、ぱっと開いている。」

浩子は変わらず僕を見つめている。

「ずっと前に、浩子が虹を見たいと言って僕を困らせた事がある。覚えてる?」

浩子はすぐに頷いた。

「僕は大きな噴水を探し回って浩子に虹を見せる事ができた。
 僕はその日の事をよく思い出す。そしてこう思う。夜じゃなくて良かった、ってね。
 でも、たとえ夜だったとしても僕は虹を探しだして浩子に届けたと思うよ。
 自分で言うのもなんだけど、なかなかできる事じゃない。」

浩子は下唇を持ち上げ少し不満そうな顔をしたが、
それは不満というか困った子供を眺めるような顔で、
それは決められている事のようにやがて諦めた顔になった。

「ワッフル食べようかしら。私の一番好きなやつ。」

「そうした方がいい。プーズカフェのワッフルは世界一うまい。」

僕はようやくコーヒーに口をつけることができた。

「ところで、僕のどこがイヤになったの?」

「私に結婚を申し込まないところ。」

「あ あ、きっとそいつはどんなに晴れた日でも傘さえ持ってればいいと
 思っているやつに違いない。」

外はよく晴れていて、白川の水はキラキラと輝いている。
外を歩く多くの観光客達がしきりに空を見上げている。
雲一つ無い空からの雨、天気雨だった。

  文・市川剛史


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